如水庵の歴史

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rekishi_tonikai2.jpg 五十二萬石如水庵は、神社仏閣の御供物調進所として代を重ねてきたと伝えられ、当事使われていた、たくさんの木型が今も残っています。 明治時代のこと、当時の店主だった森千太郎は、屋号を森栄松堂としました。 右の写真は、約百十年前の明治三十五年頃のものです。一番右端が、森千太郎です。 「ものすごく厳しくて、気合の入った、精力的な人」だったそうです。 高度な技術が要求される和菓子作りを得意とし、当時の博多の菓子店十二軒で和菓子作りの研究団体「十二会(とにかい)」を結成し、世話役をやっていました。

和菓子屋同士が切磋琢磨して、和菓子文化を創造し合ってきた様子が窺えます。 写真下の方には、苦心創造したお菓子が数々が並んでいます。きっと誇らしげに出し合っての、品評会だったのでしょう。お菓子を愛する心を私たちは忘れません。

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rekishi_gomonka.jpg 明治四十三年の広島、明治四十四年の久留米の陸軍特別大演習のときのご紋菓を明治天皇(宮内省) よりご用命を賜った際に使用した木型です。 お菓子は、木型を使って復元しました。左側の菊の紋が天皇陛下、右側の桐の紋が皇后陛下のものです。 この後、平成十四年に、天皇皇后両陛下が東ヨーロッパをご訪問されたときに機内食として、私共の和菓子四品(もなか黒田五十二萬石、梅ながし、姫橘、室見川)がお供いたしました。


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rekishi_hanaguruma2.jpg 写真は、匠の技の結集、工芸菓子「花車」。筑紫餅が名誉総裁賞を受賞した2002年の菓子博覧会にも、技術の披露として工芸菓子『筑紫花万葉』を出品いたしました。

工房では、技術の研鑚を深め、その技をつたえるため、日々より美味しい和菓子・お菓子づくりに挑戦しています。

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